当店の母の日特別商品のおさらい。そして、母の日の由来
今日は、サイトを見て来店された くまさんのご質問に答えながら、当店商品のご紹介のおさらい。
そして、母の日の由来、贈り物、とくにカーネーションの事についてお話ししてみたいと思います。
サイトを見て商品購入を検討しているのですが、ざっくり商品概要教えて下さい。
では、簡単に説明していきますね。
大きさは3種類の当店自慢のウオールガーデン・スタンドタイプをご用意しています。
Hanatrip母の日特別商品は大きさの異なる3サイズ、卓上タイプの造花ディスプレイ。
大きさは小さいものから、
Sサイズ:縦16㎝横12㎝幅4㎝、Mサイズ:縦18.5㎝横13.5㎝幅4㎝、Lサイズ:縦21㎝横16㎝幅4㎝
になっています。価格は、それぞれ¥5,400、¥7,500、¥9,500でいずれも送料込みです。
色はフラット面に飾った花材の全体的な色調を、
ピンク系、赤系、オレンジ黄色系、紫系、ブルー系、白グリーン系の計6種の中からご選択可能です。
ありがとうございます。
ところで…、
カーネーションが見当たらないようななんですが…
カーネーションですよ。
母の日に贈る花の定番、カーネーション!
私の母の日に対するポリシーと”母の日”の由来を考えてのことです。
これから、少し”母の日”の由来とカーネーションが贈られるようになった背景についてお話ししてみますね。
母の日に”カーネーション”を贈る由来について
日本に母の日が本格的に紹介、定着されるようになったのは明治末期の頃といわれています。
1931年(昭和6年)大日本連合婦人会がに結成された。その際、同組織は皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)を「母の日」としたが、普及しなかった。
1937年(昭和12年)5月8日に、第1回「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催された。その後、1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。
*wikipedia 母の日 より引用
その創設の始まりはアメリカのアンナ・ジャーヴィス(Anna Marie Jarvis、1864-1948)さんのある活動から始まったとされています。
アンナ・ジャーヴィスさんが、1907年5月9日にお母さんであるアン・ジャービスさん(Ann Maria Reeves Jarvis、1832-1905年5月9日)の死後2年後のことですが、亡き母を偲び、お母さんが日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもって、母の大好きだった白いカーネーションを贈りました。
これが、起源といわれています。
お母さんのアン・ジャービスさんは、その生前の活動によりアメリカでは母の日運動の創始者として認知されています。
お母さんは、ウエストバーニア州出身で、地域の医療・衛生環境を改善する試みとして、「Mothers Day Work Club」というボランティア団体を組織し医療補助活動を続けていました。
当時のその州では、医療水準が低く、衛生状態も悪いことから、チフスなどの疫病が広がり両軍の兵士の間でも多くの人が命を落とすことになります。
彼女の「Mothers Day Work Club」は、北軍も南軍も関係なく、助けの手を差し出しました。この活動はアメリカ国内でも広く報道されたそうです。
まさに、”母”の活動をされたんですね。
南北戦争が終わったのち、コミュニティを団結させておこうとするジャーヴィスの努力は、続いた。 戦闘が終わったのち、戦後のたたかいを取り除く方法をさがしている公務員は、ジャーヴィスに助けてくれるように求めた。 彼女と彼女のクラブのメンバーらは、治療過程を促進するためにプランティタウンのテーラー・カウンティ・コートハウス(Taylor County Courthouse)で双方の兵士らと家族のために「マザーズ・フレンドシップ・デー」(“Mothers Friendship Day”)を計画した。 暴力の脅迫にもかかわらず、ジャーヴィスは1868年にイヴェントをステージで上演し成功した。 彼女は、古参兵らと、統一および和解のメッセージを共有した。 複数のバンドは、『ディキシー』と『星条旗』を演奏し、イヴェントは北も南もだれもがひとつになってオールド・ラング・サインを歌って終わった。 この効果的な感動的なイヴェントは、多くの人に涙を流させた。 コミュニティに、敵意は破壊的で、終わらねばならないことが示された。
*wikipedia アン・ジャーヴィス より引用
そして、冒頭でお話しした1907年5月に、アンさんを称える礼拝が行われ、お母さんが大好きであった白いカーネーションを参列者に配ったとされます。
このあたりは、また次の記事に書きますね。
私が、カーネーションを入れない理由にもつながっています。
また、続きをよろしくお願いいたします。
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